知り合いの方や親しい人が落ち込んでいたり、傷ついた時には自然と寄り添ってあげたり励ましたり【味方でいること】はとても素敵で大事なことだと思います
ドラクエの世界でもルムメンやチムメンやフレさんが悩んでいたら相談にのったり、落ち込んでいる時は元気づけたり、楽しい気持ちになれるように一緒に遊んだり…そんな経験をした方も多いと思います
ただ「いつでもアナタの味方だよ」という言葉には少し危うい部分がある気がします
もちろんわたしも落ち込んだり傷ついた時にそういう言葉をかけてもらったら嬉しい気持ちもないとは言えませんが
なにで落ち込んでいるのか、なにで傷ついたのかしっかりとわかった上で、それでも「アナタの味方だよ」と言ってもらうほうがありがたいです
一方的に嫌がらせされたり、いじめられたり悪口を言われたのが明白であればそんな言葉をかけてあげることも必要かもしれませんが
喧嘩や争いの渦中のどちらか片方を当事者でもないのに盲目的に擁護するのは間違っていると思います
その人の事が好きでどんな時でも応援してあげたいのかもしれませんが、その人が過ちを犯した可能性だってあるからです
喧嘩や争いごとの当事者を応援したり擁護する時は経緯やお互いの言い分をしっかりと把握した上で判断しなくてはいけないと思います
以前【『ファン』と『狂信者』】という記事でも触れましたが…
★「ブログ読んでます!」
★「ドレアいつも素敵だなぁって思ってます!」
★「めちゃくちゃファンです!」
ありがたいことにこんな言葉をかけてくださるプレイヤーさんもいらっしゃるのでとても嬉しく幸せな気持ちになることもあるんですが
盲信的に「るなめり」の言動は全部正しい‼️
みたいに思われてしまうことは避けたいと思いながら日々行動しています
人は誰でも間違いや、時には良くない事をしてしまう生き物です
そんな時に「それはさすがにアナタが悪いと思う」としっかり伝えることが応援する側、される側双方にとって良い事だと思います✨
それができないと極端な話カルト教団の「教祖」と「信者」のように
😈「どんな時でも何があっても味方です!」
😈「なにがあったかよく知らないけど向こうが全部悪いに決まってる!」
😈「ちょっと相手を攻撃してきますね」
みたいな閉鎖的な負のコミュニティが作られてしまうと思います
そのような関係性では「信者」は常に「教祖」が正しいと持ち上げることで過ちが正当化されてさらに酷い間違いを犯してしまい、意にそぐわない人をさらに攻撃してしまうと思いますし
「教祖」が「信者」に対してわたしの言動はなんでも正しいと思い込ませるのも容易になってしまいます
応援している人がいるというアナタ、客観的で冷静な判断が本当にできていますか?
盲信的になんでも正しいと思いこんでいませんか?
閉鎖的な負のコミュニティの中にいたり、その中でもさらに「教祖」に近ければ近いほど冷静な判断力は失われます
コミュニティの中にいる人が自然と冷静な判断力を取り戻すのは難しいことだとも思います
そんなアナタを心配して「そこにいて大丈夫なの?」と声をかけてくれる知り合いやフレさんもいるんじゃないでしょうか
その声かけはアナタの盲信的な「教祖」への気持ちよりも比べものにならないほど素晴らしい純粋に心配してくれている気持ちだと思います
アナタが応援している好きな人がなにか騒動に巻き込まれた時
「好きな人」の部分をほかの「第三者」に置き換えてみて
それでも本当にその人の言動が正しいのかどうか
盲信的な気持ちを取り除いて判断するのが大事なことだと思います
「間違ってると指摘したらその人に嫌われてしまうかもしれない」
そんな心理から本心を隠してしまうケースもあるのかもしれませんが、アナタの好きな人が本当に「器の大きい人」であればそんな指摘もしっかりと受け止めてくれます
もし応援してる方がそうでない人であれば…近くにいることをやめて負のコミュニティから脱出するか顔色を伺いながらご機嫌を損ねないように信仰を続けるしかありません
カルト教団のような閉鎖的な負のコミュニティはそのコミュニティ内だけで完結させて、関係のない方々を傷つけたり巻き込まないようにしてほしい
そんな風に切に願います
アナタの好きな人は本当にいつでも正しい言動をしていると言えますか?
最後まで読んでくださってありがとうございました🎵
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